~PLAYERS ALBUM~
~プレーヤーとしての特徴~
広島ユースや立命館大学といった名門の出身だが、決してエリート街道を歩んできたわけではない。大学卒業の際には数多くのセレクションに足を運び、10チーム目の挑戦でようやく当時JFLだった長崎への加入が決まった。反応の速さやダイナミックなセーブ、精度の高いキックを持ち味とするが、最大の特徴は“チームファースト”の精神だろう。ピッチに立っていない時でもベンチから積極的に激を飛ばし、「チームあってのサッカーであり、仲間あっての自分。『チームのために何ができるか?』ということを第一に考えています」と自身のスタンスを語る。ピッチ内外におけるその存在感は絶大だ。
Season | Club | Competition | Matches | Goals |
2011 | V・ファーレン長崎 | JFL | 8 | 0 |
天皇杯 | 1 | 0 | ||
2012 | JFL | 1 | 0 | |
天皇杯 | 0 | 0 | ||
2013 | J2リーグ | 39 | 0 | |
天皇杯 | 1 | 0 | ||
2014 | コンサドーレ札幌 | J2リーグ | 28 | 0 |
天皇杯 | 1 | 0 | ||
2015 | J2リーグ | 9 | 0 | |
天皇杯 | 1 | 0 | ||
2016 | J2リーグ | 9 | 0 | |
天皇杯 | 0 | 0 | ||
2017 | J1リーグ | 2 | 0 | |
ルヴァンカップ | 5 | 0 | ||
天皇杯 | 1 | 0 | ||
2018 | ファジアーノ岡山 | J2リーグ | 22 | 0 |
天皇杯 | 0 | 0 | ||
2019 | J2リーグ | 8 | 0 | |
天皇杯 | 2 | 0 | ||
2020 | J2リーグ | 2 | 0 | |
天皇杯 | 0 | 0 | ||
2021 | J2リーグ | 18 | 0 | |
天皇杯 | 1 | 0 | ||
2022 | J2リーグ | 13 | 0 | |
天皇杯 | 1 | 0 | ||
2023 | J2リーグ | 2 | 0 | |
天皇杯 | 1 | 0 | ||
通算 | J1リーグ | 2 | 0 | |
J2リーグ | 150 | 0 | ||
JFL | 9 | 0 | ||
ルヴァンカップ | 5 | 0 | ||
天皇杯 | 10 | 0 | ||
総通算 | 176 | 0 |
2024年1月31日 時点
~アスリートの11 my mind~
1.自分の出身地の良いところや思い出の場所
―「雲の合間から差し込む後光の美しさ」
島根県の大きなポイントは、県民の人の良さではないかと思います。すれ違ったら挨拶を交わすとか、昔ならではの慣習が今なお残っており、個人的にはその雰囲気が大好きですね。
また、島根県は雲が多い地域で、曇りの日が多いんです。でもその分、後光が雲の合間からものすごくきれいに差すんです。島根には高い建物が多くないので、より後光の美しさを感じることができるんですよ。
2.どんな子どもだったか?
―「わんぱくなタイプ」
好奇心が旺盛で、わんぱくな子どもでした。いろいろな友だちと仲良く遊んでいましたが、今思えば周りの子もみんなわんぱくでしたね(笑)。
サッカーを始めたのは小学1年生の時です。当時はセンターバックなどをやっていたのですが、何をするにもうまくできず、我ながらフィールドプレーヤーとしての才能はありませんでしたね(苦笑)。身長が高かったこともあり、4年生の頃からGKをやるようになりました。
サッカー以外では相撲をやりました。島根県には身体の大きな子どもに相撲をやらせるという文化があって、僕もわんぱく相撲に出た経験があります。小学生の頃はあまり勝てなかったのですが、中学3年生の時にはほぼ負けたことがないくらい強くなって、最終的に島根県で優勝するくらいまで成長しました。
3.子どもの頃になりたかった職業は?
―「プロサッカー選手」
小学校の卒業アルバムには、将来の夢を「サッカー選手」と書きました。それ以来、ずっとプロサッカー選手になることを目標に取り組んできましたね。
4.今思う、サッカー選手でなかったら、どんな職業についていたか?
―「地元の島根県で働いていた」
おそらく、島根県内の町工場などで働いていたのかと思います。少年時代からの友人にもそういうタイプが多くて、僕もこうしてプロサッカー選手になっていなかったら、きっと島根から外には出ていなかったような気がします。
僕はもともと人と話をするのが好きなので、営業マンのように人と関わるような仕事に興味を持った時期もありました。また最近では、自ら起業して、社会に貢献しながらいろいろなことにチャレンジしてみたいという気持ちも持っています。
5.逆境に陥った時、それを乗り越える方法
―「夢を持ち続けること」
これまでのサッカー人生の中で、逆境に直面したと思ったことがほとんどないんです。僕には夢というか目標があって、それを達成するには逆境や難しい局面を当たり前のように乗り越えていかなければならないと考えているので、「夢を持ち続けること」「夢を意識し続けること」が、逆境に打ち勝つ一番の方法なんじゃないかと思います。
僕自身が今目指しているのは、J1リーグで守護神として試合に出続けること。ただピッチに立つというのではなく、人としても選手としても、J1にふさわしい水準を身につけた上で、ゴールマウスに立つという目標を自分の中に掲げています。
6.サッカーをしていて、最高の瞬間は?
―「スタジアムの一体感を味わう瞬間」
勝利を告げる試合終了の笛が鳴った時ですね。チームメートやスタッフ、スタンドのファン・サポーターとの一体感が味わえる瞬間ですし、サッカーをやっていて良かったなと実感できる最高の時間です。うれしさや喜びがこみ上げてくるあの独特な感覚は忘れられませんね。
7.サッカー以外で自分の中で大事にしていること
―「人と人とのつながり」
僕はサッカーが全然うまくない少年でした。でも、いろいろな人に助けてもらい、いろいろな人からアドバイスをいただき、それを愚直にやり続けた結果、選手として少しずつ成長し、プロサッカー選手になることができました。
特に覚えているのが、長崎に在籍していた2013年。チームがJFLからJ2に昇格し、プロのピッチに初めて立った時、なぜだか自分の実力以上の力を発揮することができたんですよね。その時に、それまで教わってきたことや授けてもらったアドバイスが一気に頭の中を駆け巡り、これまで関わってくれた人々のおかげで今の自分があり、人との出会いがいかに大切なものであるかを改めて痛感したんです。それ以来、人と人とのつながりというものをより強く意識するようになりました。
8.客観的に自分を見た時に、自分はどんな人間だと思うか?
―「接しやすくて暑苦しいタイプ」
接しやすいタイプの人間だと思います。また、暑苦しい男でもあります。けっこう熱くしゃべるので、後輩たちにはちょっとうるさい先輩と思われているかもしれませんね(苦笑)。もしかしたら言わなくてもいいことが含まれているかもしれませんが、自分の経験上、これは知っておいたほうがタメになると思ったことは、積極的に後輩たちに伝えてしまうんですよね。
9.大事にしている言葉
―「一日一生」
僧侶の酒井雄哉さんの言葉で、本を読んで知りました。「一日を一生のように生きる」という意味で、一日ごとに新たな自分に生まれ変わり、その積み重ねが人間としての一生になる。だから毎日を大切にしようという考え方です。
10.子どもたちに伝えたいこと
―「全力でぶつかっていく」
何事にも積極的かつ全力でぶつかっていく気持ちで臨んでほしいと思います。広島ユースの一員になった高校時代、チームメートのレベルの高さに衝撃を受けたのですが、練習中や試合中によく見てみると、全員が当たり前のように全力で戦っているんですよね。「だからこんなにうまいんだ!」と強く感じましたし、それ以来、僕も全力を出し尽くすことを意識するようになりました。何事にも意欲的に取り組むことで、さまざまな可能性が広がっていくのだと思っています。
11.UDNでどんな活動をしていきたいか?
―「人が何かに挑戦するきっかけを作りたい」
子どもに対しても大人に対しても、スポーツ選手が与えられることっていろいろなことがあると思っています。さまざまな情報を発信することやイベントを企画する中で、「自分もチャレンジしてみよう」というきっかけ作りに少しでも関与できたらうれしいですね。
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